2015年12月29日火曜日

高浜神社 石岡市高浜 Takahama shirine

       高浜神社  石岡市高浜町字宮865


      祭神・・・・・武甕槌の命
      配祀・・・・・菅原道真、月読命
            7月に例祭(青屋祭)、ほか

   高浜神社は高浜駅から東へ約500m、高浜街並みの中にあります。
高浜は常陸国府と各地を結ぶ海上交通の要として奈良時代頃からとても栄えていました。
「常陸國風土記茨城郡」に見える「信筑川」しづくがわ、いまの恋瀬川は神社のすぐ脇を流れ、近くには愛郷橋があります。同じく風土記美文の「高浜の海」でも有名です。
高浜神社の歴史は古く常陸国一の宮鹿島神宮の武甕槌の命が祀られています。
また、高浜神社はむかし石岡市にあった「常陸国府」と深いつながりがあります。
ふるく国府時代府中の税所氏、健児所氏(こにしょ)が公家装束騎馬従者30名と列を正して着き、社前の茅葺き仮殿に税所氏左側、健児所氏が右に着席、神主と両人茅の輪をくぐること三度、奉幣の式を執り行い天神地祇四方拝札、奉楽の順に厳粛に行われた。
健児所氏(古仁所・小仁所氏とも書く)。健児所(こんでぃしょ)は奈良~平安時代健児こんでぃ・つまり師団の詰め所)であった。
高浜神社では旧暦6月21日に旧来の神事、青屋祭が行われている。青屋祭は鹿島神宮の古来の神事(鹿島誌)で薄(すすき)で仮殿を作り薄の箸とうどん、青野菜他を奉納した。別のページで紹介した青屋神社が石岡市総社1にも有り毎年同じ神事が受け継がれている。古は県内各地でも青屋の祭りがありました。鹿島神宮は常陸の国の一の宮であり、国司の厚い信仰があった。
鹿島神社は現在も県内各地に多くあります。
 高浜は奈良~平安時代海上交通の要所であった。都から国司が着任すると常陸国内にある大社に参詣した。着任の国司は常陸一の宮である鹿島の宮へ船で参詣した。荒天で船が航行不可能の時は高浜の渚で青屋の神事が行われた。当時高浜を宮方と呼び鹿島を国方と呼んだ。(茨城県神社誌)
寛文7高浜大明神由来(高浜大明神御書付高浜氏直恒花押・別當神宮寺文書)では高浜が国方、鹿島が宮方になっている。ここでは府中6氏の高浜鹿島神社神職が載っているが文面が長くなるので割愛する。神護景雲二年三笠山へ中臣氏卜部氏共に勧請奉る也、之即ち春日明神なり。
箕水謾録(抄) (石川久徴・水戸彰考館館)によると天正年中まで鹿島、高浜、磯崎(大洗)の三津にて青屋祭が行われた。高浜には大掾氏、 鹿島には島崎左門氏(左衛門氏島崎城か)磯崎へは小幡城主を遣わす。(東京大学資料編纂所所蔵)(石岡の地誌)

PHOTO
 境内には別當寺の供養碑であろう元禄3年3月の文字とお経の回向文、願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道」(がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう)と刻まれている。
慶応三年の奉納額は高浜の海がよく分かる。
山岡鉄太郎の奉納額「高浜神社」
あと境内の石碑と石祠の文字確認ができたものは多賀大明神、白鳥天神、石尊ほかであった。
(↓石岡ルネッ散歩の画像有り高浜神社)
 奉納額    photo 2005
 山岡鉄舟氏奉納額「高浜神社」        photo 2005
船が多い高浜港と筑波山 慶応4奉納額(拡大) photo 2005
高浜神社鳥居と拝殿 photo_2015_12_29_
高浜神社 photo_2015_12_29_
 高浜神社本殿と拝殿
高浜神社本殿と拝殿 2
 高浜の海 常陸風土記
高浜神社案内板
 高浜神社二の鳥居
 高浜神社本殿と拝殿 3
  高浜神社本殿と拝殿
 みたらしか水神
多賀大明神石祠 1
 多賀大明神石祠 2
元禄3年3月の文字と供養塔 1
元禄3年3月の文字と供養塔 2
 神木
 白鳥天神社ほか 
 奉納額 a    photo 2005
  奉納額 b   photo 2005
  奉納額 c   photo 2005
神前
高浜神社奉納額「本宮大明神」
本宮神社は日光はじめ各地に見られるがこれは
春日神社奥の院「本宮大明神」、鹿島神宮の神と同じであろうか?

神社うら、恋瀬川愛嬌橋
石岡ルネッ散歩 高浜神社 2013_05_19
鹿島志・青屋祭(文政年間・北条 時鄰著 旧蔵書)↑
青屋祭と春日神社。
青屋祭ススキの屋根は伊勢の宮・本宮を模したのではないか
とある。古から質素で厳粛の中に大神が降りられた。
 鹿島志 浪逆海(浦)鹿島 ↑
霞ヶ浦(北浦)神宮橋下流に赤い一の鳥居がある。
鹿島志 潮来 ↑
鹿島神宮拝殿 160102

ページ内リンク・青屋神社と例祭 石岡市
   ページ内リンク・常陸國総社宮 石岡市総社2

2015年12月4日金曜日

舟塚山古墳 Funatukayama ancient tomb Ishioka

            舟塚山古墳 

                                          国指定文化財                      

                    所在地:石岡市大字北根本597番地外
                         指定年月日:大正10年3月3日

舟塚山古墳は前方後円墳で茨城で一番大きな古墳です。
墳墓の大きさから茨城の国造墳墓とも推定されています。
五世紀の後半頃作られたと推定されています。長さ約186メートル、前方部の幅100メートル、前方部の高さ10メートル、後円部の径90メートル、後円部の高さ11メートルあります。
常磐線高浜駅から石岡方面へ向かって西へ約1.5km弱の地点、また6号国道石岡から高浜街道を東へ約2.5kmの地点にあります。
古墳の入口には鹿島神社が祀られており、古墳からは筑波山、眼下には恋瀬川方面の眺めも良く、常陸國風土記「茨城」の由来の地「ばらき」も眼下です。南側は下ると直ぐ恋瀬川があり、常陸國風土記に見える信筑川です。
石岡にはいにしえ、国衙、常陸国府が置かれ、舟塚山古墳は石岡と高浜の中間に位置します。
また、この古墳の北東約300mには愛宕山古墳(茨城県指定文化財(史跡)があります。
舟塚山と道を隔てたこの古墳、舟塚山古墳と近い関係があるのでしょうか。
霞ヶ浦は古墳時代は現在よりかなり上流まであったと推定されます。

以下旧案内板より
 舟塚山古墳は南に霞ヶ浦、高浜入り江を望み、西に筑波の霊峰を仰ぐ景勝の地にある前方後円墳である。
 霞ヶ浦の両岸には多くの古墳群があり、その中央部の恋瀬川河口付近に舟塚山古墳群が存在する。この古墳は、東国第二位、県内最大の規模を誇り、現在の新治・行方・稲敷三郡を含めた地域の題号属の墳墓と見られている。
 舟塚山古墳の墳丘は、凡そ全長186メートル、前方部の幅100メートル、前方部の高さ10メートル、後円部の径90メートル、後円部の高さ11メートルの規模を持つ。墳丘は三段に築造され、後円部径に比べて前方部が長く、仁徳天皇陵(大阪府)やウワナベ古墳(奈良県)などに共通する特徴を持っている。周辺の堀は、台地の南側が傾斜面に続くので、北側と同様な規模でめぐらすことは出来なかった様である。
 舟塚山古墳墳丘の発掘調査はなされていないが、地元には、多数の刀が出土したという言い伝えがある。
 昭和47年の舟塚山古墳周溝確認発掘調査で円筒埴輪が出土しているが、形象埴輪は確認されていない。また、同調査で舟塚山古墳の陪家と考えられる円墳から木棺が発見され、単甲・直刀・楯などの副葬品が出土した。舟塚山古墳は、これらの出土品及び墳形から、凡そ五世紀後半の築造と推定されている。
      昭和60年1月
                    石岡市教育委員会
      石岡市文化財保護審議会    (案内版より)
 舟塚山古墳 060704
 舟塚山古墳 2 060704
舟塚山古墳入り口
鹿島神社
舟塚山古墳 案内板
舟塚山古墳 3 060704
舟塚山古墳 4 060704
舟塚山古墳 5 060704
舟塚山古墳 6 060704
舟塚山古墳 7 060704
舟塚山古墳 8 060704
石岡ルネッ散歩舟塚山古墳 2  13519
石岡ルネッ散歩舟塚山古墳 2 130519
恋瀬川方面  130519
石岡ルネッ散歩 舟塚山古墳 130519

2015年11月22日日曜日

田島金剛院十一面観世音菩薩座像 石岡市 Eleven faced Kannon Ishioka

田島金剛院十一面観世音菩薩座像       石岡市田島一丁目2


木造十一面観世音坐像 (県指定有形文化財(彫刻))
所在地:石岡市田島一丁目2-30(金剛院)
指定年月日:平成18年11月16日
石岡市指定文化財:昭和58年10月25日)

十一面観音座像は鎌倉期のものと推定される。
観音座像は元三面寺の本尊であった。三面寺はこの地より東に約4~500mほど離れた田島台にあった。
一説によると江戸時代のはじめ三面寺は非常に大きい暴風に見舞われ、観音堂宇を残し本堂他すべて失ってしまった。
「即元禄十五年壬申十月本願主別当廻向山三面寺諶政 田嶋村旦中(だんちゅう-檀家中)男女 東耀時堅者(りっしゃ-仏法議論の場で質問に答える役目の僧。)秀圓法印導師を勤め三面寺台より現在地に引移造立せしこと棟牒に瞭然たり 越えて亨保四年巳亥四月堂宇の修復をなす」(昭和56年3月堂宇内奉納額より部分)
元禄十五年(1702)十月観音座像は三面寺より金剛院に移された。亨保四年(1719)四月堂宇の修復が行われた。
そして、昭和五十六年五月一日現在の新しい堂宇が完成した。
この暴風雨に一致するかは定かではないが元禄12年8月15日東日本で非常に大きな台風被害があった。加賀(石川県)地方でも大風にて人家が潰れ、牛馬の死数数え切れないほど多数。常陸水戸藩でも米の収穫が30%以上減少し、江戸で米の入荷が大きく減り値上がりした。(防災情報新聞社無料版より)(key word 元禄12年8月 台風)
田島金剛院十一面観世音菩薩座像 1
田島金剛院十一面観世音菩薩座像 2
田島金剛院十一面観世音菩薩座像 3
田島金剛院十一面観世音菩薩座像 4
田島金剛院観音堂 1
田島金剛院観音堂 2
田島金剛院観音堂案内板
 馬頭観音石碑
江戸時代の石碑
山の神 祠
田島金剛院観音堂案内板 1
地蔵菩薩三像