茨城廃寺跡 石岡市貝地二丁目
7世紀後半(650頃?)(飛鳥時代)の建立とされる「茨城廃寺」この遺跡周囲では軒瓦や土器などが古い時代から畑の地表近くなどから時折出土し、茨城寺跡と推定されていた。当時まわりは多く畑地であったが現在周辺は住宅地が多い。
第1回発掘調査が昭和54年8月4日から同20日まで文化庁の紹介でこの分野に詳しい滋賀大学の小笠原氏と茨城県考古学権威の黒沢氏指導のもと行われ、文様の異なる丸瓦や瓦土器などが多く発見された。また、その後数次によって発掘調査が行われ金堂跡、講堂跡、塔跡、などが確認された。その配置は「法隆寺式伽藍配置」であることがわかった。
その後、56年までに3次調が行われ、「茨木寺」「茨寺」と書かれた墨書土器が発見された。
その後平成12年に4次調査が行われ発掘調査で建物の境界、位置の再確認など。
第5次調査は平成15年2月、主要建物がある寺の中心部の東側2カ所を対象に始まり、、寺東側の境界線が確定し、南側を除く寺の範囲がほぼ確定した。
金堂、講堂の東側から6棟の掘立柱式建物が発見された。掘立柱式建物は金堂の東側に2棟、講堂の東側に4棟、また、竪穴式建物5棟も確認された。
近くには「郡衙跡」「外城跡」も存在するがまだ発掘には至ってない。
また、寺院の礎石も石岡市内清涼寺他に数個保存されている。
茨城廃寺跡 石岡市指定史跡 指定年月日:20120321
場所 石岡市貝地二丁目
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