常陸国衙と筑波山
奈良時代(700年代)約1300年前、石岡市総社に常陸国府が置かれました。最初は石岡市茨城に置かれましたが後に上記の地に移されました。
万葉歌人の高橋蟲麻呂は国司と共に国府の任に着きました。
藤原宇合や検税使大伴卿など都からの人を筑波山へ案内かたがた多くの和歌を残しました。(高橋蟲麻呂 森本治吉 靑瑚堂版)
筑波嶺に吾行けりせば霍公鳥山ひこ響め鳴かましやそれ(万葉集1497)
文人として、才能のある蟲麻呂を宇合はいつも行動を共にし、常陸國風土記の編纂もこうして進行したのでしょう。国府から筑波山へは志筑(かすみがうら市)八郷経由で行くと短時間で着きます。
優良米の量産地である筑波郡の郡衙にも赴き米のできなど調べ、峠からも視察しました。
石岡市茨城付近にも郡衙跡や茨城廃寺跡などの史跡が存在し、布目瓦などが出土しています。
また、国府跡と常陸國総社宮は隣り合っています。
また、国衙あとは平成22年8月国指定史跡に指定されました。
常陸国府の位置は時代が大化の改新前、飛鳥以前にさかのぼるとも少し詳しい検証が必要とおもいます。
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