2015年9月27日日曜日

八幡神社(若宮八幡神社)Wakamiya hachiman jinnjya 石岡市

八幡神社(若宮八幡神社Wakamiya hachiman jinnjya 石岡市若宮2-1


 若宮八幡宮とも呼ばれるこの神社は常陸国府、常陸総社宮と共に奈良時代からこの地にありました。地元では八幡様と呼ばれ多くの人たちに親しまれています。古くはこの神社は城内の神社で、下志筑にも国府の八幡神社があったとも伝えられています。下志筑の地は古、国府(府中)の一部でした。神仏分離令がでる以前は若宮八幡宮に隣接して八幡寺という寺がありました。今神社の境内に回国供養塔という石碑が建っています。ここの文字は囘国という文字が刻まれています。行者が法華経六六部を写経し、各地を回り一部を納め供養しました。なお、境内には摩利支天の社が三〇年ほど前、京の馬場からこちらに合祀されました。京の馬場とは八幡神社から府中中への途中でスーパのある後側、かなり広い場所です。現在は住宅が多く建っています。現在の住宅表示の前は京の馬場という地名だったそうです。ここは国府の馬の調練場だったと推定されます。
八幡神社は総社宮、国府あとから徒歩約5~6分北側です。石岡駅から徒歩約15分位です。

◎八幡神社
祭神    誉田別命  ほんだわけのみこと
                 誉田別命は応神天皇の諱である。
由緒沿革   社伝によると神亀五年(戊辰)(728)九月の創祀。
                 源義家征奥の途当社に戦勝を祈願し嚆矢(こうし。かぶら矢)を奉献したと伝う。
                寛永年間領主皆川山城の守、御神
影を寄進。
       松平播磨守は祭祀田を寄進。(茨城県神社誌)
         
◎八幡神社
神亀五年(728)辰九月の創建。
永保二年(1082)八幡太郎義家征奥州征討の際、当社に参籠して朝敵退散を祈願する。
応永二年(1395)太田道灌参籠して武運長久を祈願。
天正一八年(1590)佐竹氏府中攻略の際神社焼失。
寛永四年(1627)皆川山城守が本殿と拝殿を建立し御供免十石を寄進。
寛文五年(1665)領主松平伊勢守が本殿と拝殿を修造し応神天皇の御尊像を奉納。元文年間の頃別当欽長金が神社を改築して天下安泰を祈願した。以上の記録は安永二年(1773)別当義寛(天台宗東耀寺末八幡寺別当の記録である。)(石岡市史上巻)        
         
◎八幡神社
祭神   誉田別命
東座    息長足姫尊
西座   姫大神
(注、比売大神ひめおおかみ。女性神あるいは八幡大菩薩かも知れません。 
太田道灌参拝
天正の乱に神社焼失。慶長年間社宇改造す。寛永年中領主皆川山城守神領を献ず。寛文年間領主松平伊勢守応神天皇の画影一幅を寄進。現今の社殿寛保年間に再建(石岡誌 松倉鶴雄 明治年間) 

若宮八幡神社 石岡市 2015/09/26 photo1
 若宮八幡神社 石岡市 2015/09/26 photo2
若宮八幡神社 稲荷社 石岡市 2015/09/26 photo
若宮八幡神社 石岡市 2015/09/26 photo 3
若宮八幡神社案内板 石岡市 2015/09/26 
若宮八幡神社案内板 石岡市 2015/09/26 photo2
若宮八幡神社門内側 石岡市 2015/09/26 
若宮八幡神社 ケヤキの大木 石岡市 2015/09/26 
若宮八幡神社石碑 石岡市 2015/09/26 
 石碑
回国供養塔 石岡市 2015/09/26 
 合祀の摩利支天
石碑
 神社からの長め
 八幡神社前より
 京の馬場
京の馬場付近



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