2015年10月11日日曜日

月天宮(げってんぐう)石岡市 gettenguu ishioka

月天宮 石岡市貝地一丁目

祭神  月読命

 月天宮は石岡市、国道6号貝地一丁目の交差点近く、少し入った所にあります。
下記の「府中雑記」によりますと「月山の地」、月山の宮とあります。
きっと月山(がっさん)神社をお祀りしているのでしょう。月山神社は延喜式神名帳で明神大社です。月読命は天照大神の 兄弟(兄妹)の神です。日天宮の天照大神と月天宮の月読命がひのもとのくに、霰降る常陸の国を照らしているのでしょう。
出羽三山の羽黒山、月山は推古朝時代に築かれたとされます。「府中三光宮」の一社として国府、の時代から敬われてきました。

 月天宮は「石岡のあけぼの」石岡市教育委員会、昭和36年によると「府中雑記」に、此の地(小目代近く台地下)に月山の地名あり。古へ月山の宮此処にあり。今貝地に移すとある。此の地の下とは、小目代即ち布目瓦の出る茨城廃寺の東側の低地を指す。資料「石岡のあけぼの」「府中雑記」より

 星の宮(府中五丁目)に元あったが現在は常陸國総社宮随神門を入った近くに境内神社として祀られている。

古くから、日、月、星は人々の信仰の対象となっていたが、常陸国衙が置かれた石岡には、それらをまつる社殿として日天宮、月天宮(貝地一丁目)、星の宮(府中五丁目)が創建された。後にこの三社「府中三光宮」と呼ばれるようになったが、現存するのは、この日天宮と月天宮で、星の宮は、地名にその名を残すのみである。月天宮の祭神は月読命で本殿は間口六メートル、奥行五.五メートル、参拝口は間口二.一メートル、本殿のうしろには、参拝口と同じ大きさの奥の宮が張り出しになっている。また、境内には古くからこの地域の人々の信仰を集めたこともあって子安観音堂、弘法大師堂などがある。大師堂には念仏講中の老人たちが家々を回って数珠を繰り念仏往生を祈願したという「百万遍数珠」が保存されている。  (案内板原文のまま)

昭和六〇年三月

石岡市教育委員会
石岡市文化財保護審議会

 下の石尊権現は大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は大山、相模の国伊勢原市にある山岳信仰の旧い神社で修験の社で相模の国延喜式内社十三社の内の一社。大山は雨降り山とも呼ばれ、長野では飯網神社、近くでは加波山神社などがある。.
石岡の金比羅神社のページで八大院が信濃の国飯網神社で修業し府中外城カンドリの香取神社に戻ったとあります。
 月天宮 石岡市貝地一丁目   8,Oct,2015 photo 1
 月天宮 石岡市貝地一丁目   8,Oct,2015 photo 2
 月天宮 案内板  24,Jan.2007
 境内神社  8,Oct,2015 photo 1
延喜式神名帳
  月天宮 境内神社 拡大  24,Jan.2007
 月天宮 碑、案内板  24,Jan.2007
 石碑  8,Oct,2015 photo
 古い碑で判読難  8,Oct,2015 photo 1
 古い碑で判読難  8,Oct,2015 photo 2 ↑
境内堂宇  8,Oct,2015 photo 2 

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