常陸国分尼寺 Hitachi kokubu nun temple
常陸国分寺の僧寺から西北約600mの所,今尼寺ヶ原と呼ばれるところに同時代、常陸尼寺が築かれた。 寺域は東西約164m、南北同、南大門、中門、金堂、講堂、尼坊、食堂等があった。石岡市史上巻で見ると南大門は府中小の直ぐ後あたりにあったのでしょうか。明治の初め頃までは一部の建物あとが確認できる状況でしたが田畑の開墾の進行によって見えなくなったようです。
奈良時代、聖武天皇の皇后、光明皇后(701-760)(藤原不比等の娘)は奈良の法華寺を開き、国中の尼寺の建設に力を注ぎました。法華寺は天平時代日本の総国分尼寺と呼ばれた。
尼寺は法華滅罪之寺と称し、法華経の功徳をもって、未来成仏を念願としました。
一例ですがたとえば観音経も法華経のひとつでたしか、深く信じ彼の観音を念ずれば生老病死苦は直ぐに消えてしまうでしょうとあります。国の平和と安泰を願ったのですね。
国分尼寺入り口 石岡 谷向線
国分尼寺入り口
特別史跡常陸尼寺址
特別史跡常陸尼寺址 案内板
特別史跡常陸尼寺址 配置予測図
特別史跡常陸尼寺址
特別史跡常陸尼寺址
常陸尼寺址
常陸尼寺址
常陸尼寺址
常陸尼寺址入り口付近より
常陸尼寺址
常陸尼寺址と筑波山
常陸尼寺址
常陸尼寺址
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