「こんぴらさま」として親しまれた神社 石岡市
大和三輪山伝説として、奈良県桜井市にある三輪明神(現在大神神社)の祭神・大物主神の伝説があります。三輪山は太古の時代から神の鎮座する山、神奈備とされており、人々の願いを叶えたり、安全を守るとされる大物主神が祀られています。
ここ石岡の金比羅神社では大物主神が祭神で、配祀の経津主命(ふつぬしのかみ)は香取神宮の祭神です。武甕槌神(たけみかつちのかみ)鹿島神宮の祭神と共に日本建国、武運の神です。
金刀比羅神社は香取神社を明治39年に合祀し、経津主命神の配祀として祀った。
また、森木寺や八大院という 別当寺がありました。
特に江戸時代になって、豊穣祈願と水運、海上交通が盛んになり安全を祈願する人々が多くなり、こんぴらさまは全国的に栄えました。ここ石岡のこんぴらさまも昭和前半頃までは祭日は縁日で人垣ができ賑やかでした。
神社は平成十二年の火災で社殿が焼失しましたが平成十九年に現在の社殿が再建されました。
金比羅神社 石岡市国府六丁目二番 森木町〈旧地名〉
祭神 大物主神 、 崇徳天皇 。
配祀 経津主命
境内神社 稲荷神社(宇迦之魂命)粟島神社
由緒沿革 天正18年9月別当八大院玄広創祀。八大院の祖先は常陸大掾に属し、天正年間佐竹氏の攻略にあい信濃の国、飯綱山に幼くして隠れる。そこで修行して修験となり府中外城かんどりの香取神社に戻る。八大院後八城姓となる。徳川開府参勤交替えで陸前浜街道に面したこの地は繁盛した。総社文書に「森木殿知行分の内、米吉田三反香取神田宿まで」とある。貞享二年九月九日別当八大院涼先、寛延元年九月同宥春の代、各再建。寛政六年三月、大常教讃州の大神を勧請(讃岐の金刀比羅神社、崇徳天皇は譲位後讃岐の地で過ごされ、金比羅宮を深く崇敬された崇徳天皇の御霊も含む。筆者識)明治十一年市中大火に類焼、同十五年に復興遷宮式を行う。同三十九年十二月香取神宮を合祀。大正四年大鳥居(稲田産花崗石)建立。
昭和四年二月市街600戸を焼く火災で類焼、同十一年三月復興遷宮祭を行う。
同三十五年本殿改築、神楽殿新築、同四十五年社務所新築。古来海浜漁業者の信仰崇敬社として著名。(茨城県神社誌)
また参考として、仏教が日本へ伝来した時代インド霊鷲山(りょうじゅせん)の 宮比羅(クビラ)の伝説と結びついて仏教との習合も考えられます。
宮比羅は天竺霊鷲山の鬼神でまた水運の神で、薬師如来十二神将の筆頭でもあり宮毘羅、金毘羅、金比羅、禁毘羅とも書かれます。サンスクリット語ではクンビーラ 。十二神将としては宮比羅大将、金毘羅童子ともいわれるそうです。
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