2015年10月10日土曜日

日天宮 石岡市国府七丁目 nittutenguu jinjya

日天宮と月天宮 ・ 常陸国府と信仰 石岡市

日天宮 石岡市国府七丁目四番(旧、幸町)

祭神は、天照大神

国府に古くから伝わる社です。六号国道恋瀬橋方面から石岡市内へ入る幸町信号の緩やかな坂道を少しのぼると直ぐ、左斜めへ同じ方向に向かうやや細い通りを登ったところ左側にあります。この宮は古く神世の神を崇める宮で國造り、常陸国衙の頃からの宮と思われます。
古い石祠もひとつあり、数次にわたって撮影を試みたが判読できなかった。石祠は祠にみあった小さな堂宇に納められているが年月を経て風化が著しい。最近ではSfM (3次元モデル)などによって解明技術が進んできているようです。


〈古くから、日、月、星は人々の信仰の対象となっていたが、常陸国衙が置かれた石岡には、それらをまつる社殿として日天宮、月天宮(貝地一丁目)、星の宮(府中五丁目)が創建された。後にこの三社「府中三光宮」と呼ばれるようになったが、現存するのは、この日天宮と月天宮で、星の宮は、地名にその名を残すのみである。日天宮の祭神は、天照大神で、現在大小二つの鳥居と間口5.4メートルの社殿、裏に奥の宮がある。また、日天宮が古くからこの地域の人々の信仰を集めたこともあってって本殿左には間口3.6メートルの稲荷大明神、右には御岳神社がある。〉  (案内板原文のまま)

昭和六〇年三月

石岡市教育委員会
石岡市文化財保護審議会

日天宮 石岡市 photo 8,Oct.2015
日天宮 石岡市  8,Oct.2015 photo2
日天宮 石岡市  8,Oct.2015 photo3
 石祠 日天宮
石祠 日天宮
日天宮 石岡市  8,Oct.2015 photo3
 御嶽神社 写真2007 01 24
 稲荷神社
神社付近
神社入り口


2015年10月8日木曜日

金比羅神社 石岡市 konpira jinjya ishioka

「こんぴらさま」として親しまれた神社 石岡市


 大和三輪山伝説として、奈良県桜井市にある三輪明神(現在大神神社)の祭神・大物主神の伝説があります。三輪山は太古の時代から神の鎮座する山、神奈備とされており、人々の願いを叶えたり、安全を守るとされる大物主神が祀られています。

 ここ石岡の金比羅神社では大物主神が祭神で、配祀の経津主命(ふつぬしのかみ)は香取神宮の祭神です。武甕槌神(たけみかつちのかみ)鹿島神宮の祭神と共に日本建国、武運の神です。
金刀比羅神社は香取神社を明治39年に合祀し、経津主命神の配祀として祀った。
また、森木寺や八大院という 別当寺がありました。

特に江戸時代になって、豊穣祈願と水運、海上交通が盛んになり安全を祈願する人々が多くなり、こんぴらさまは全国的に栄えました。ここ石岡のこんぴらさまも昭和前半頃までは祭日は縁日で人垣ができ賑やかでした。
神社は平成十二年の火災で社殿が焼失しましたが平成十九年に現在の社殿が再建されました。
           
金比羅神社  石岡市国府六丁目二番          森木町〈旧地名〉
祭神 大物主神 、 崇徳天皇 。
配祀 経津主命
境内神社 稲荷神社(宇迦之魂命)粟島神社

由緒沿革 天正18年9月別当八大院玄広創祀。八大院の祖先は常陸大掾に属し、天正年間佐竹氏の攻略にあい信濃の国、飯綱山に幼くして隠れる。そこで修行して修験となり府中外城かんどりの香取神社に戻る。八大院後八城姓となる。徳川開府参勤交替えで陸前浜街道に面したこの地は繁盛した。総社文書に「森木殿知行分の内、米吉田三反香取神田宿まで」とある。貞享二年九月九日別当八大院涼先、寛延元年九月同宥春の代、各再建。寛政六年三月、大常教讃州の大神を勧請(讃岐の金刀比羅神社、崇徳天皇は譲位後讃岐の地で過ごされ、金比羅宮を深く崇敬された崇徳天皇の御霊も含む。筆者識)明治十一年市中大火に類焼、同十五年に復興遷宮式を行う。同三十九年十二月香取神宮を合祀。大正四年大鳥居(稲田産花崗石)建立。
昭和四年二月市街600戸を焼く火災で類焼、同十一年三月復興遷宮祭を行う。
同三十五年本殿改築、神楽殿新築、同四十五年社務所新築。古来海浜漁業者の信仰崇敬社として著名。(茨城県神社誌)                      


また参考として、仏教が日本へ伝来した時代インド霊鷲山(りょうじゅせん)の 宮比羅(クビラ)の伝説と結びついて仏教との習合も考えられます。
 宮比羅は天竺霊鷲山の鬼神でまた水運の神で、薬師如来十二神将の筆頭でもあり宮毘羅、金毘羅、金比羅、禁毘羅とも書かれます。サンスクリット語ではクンビーラ 。十二神将としては宮比羅大将、金毘羅童子ともいわれるそうです。   

 金比羅神社拝殿 photo 8, Oct.2015
金比羅神社 石岡市 photo 8, Oct.2015 
金比羅神社 本殿 photo 8, Oct.2015 
金比羅神社 稲荷社  photo 8, Oct.2015 
歴史のある白馬
 六十二貫とある
  神水
 正岡子規 句碑
石岡の街並 photo 8, Oct.2015
金比羅神社 石岡市 photo 8, Oct.2015 

2015年10月6日火曜日

常陸国分尼寺 Hitachi kokubu nun temple

常陸国分尼寺 Hitachi kokubu nun temple

常陸国分寺の僧寺から西北約600mの所,今尼寺ヶ原と呼ばれるところに同時代、常陸尼寺が築かれた。 寺域は東西約164m、南北同、南大門、中門、金堂、講堂、尼坊、食堂等があった。石岡市史上巻で見ると南大門は府中小の直ぐ後あたりにあったのでしょうか。
明治の初め頃までは一部の建物あとが確認できる状況でしたが田畑の開墾の進行によって見えなくなったようです。
奈良時代、聖武天皇の皇后、光明皇后(701-760)(藤原不比等の娘)は奈良の法華寺を開き、国中の尼寺の建設に力を注ぎました。法華寺は天平時代日本の総国分尼寺と呼ばれた。
尼寺は法華滅罪之寺と称し、法華経の功徳をもって、未来成仏を念願としました。
一例ですがたとえば観音経も法華経のひとつでたしか、深く信じ彼の観音を念ずれば生老病死苦は直ぐに消えてしまうでしょうとあります。国の平和と安泰を願ったのですね。
国分尼寺入り口 石岡 谷向線
国分尼寺入り口
特別史跡常陸尼寺址
特別史跡常陸尼寺址 案内板
 

特別史跡常陸尼寺址 配置予測図
特別史跡常陸尼寺址
特別史跡常陸尼寺址
常陸尼寺址

常陸尼寺址
常陸尼寺址
常陸尼寺址入り口付近より
常陸尼寺址
常陸尼寺址と筑波山
常陸尼寺址
常陸尼寺址