2016年10月6日木曜日

看板建築ほか石岡市内の写真 Signboard architecture and Street view of Ishioka

石岡市内にはかって常陸国国府があり、東海道も石岡が出発点でした。
そして、長い期間には大きな歴史の推移がありました。明治,大正と続き昭和のはじめになって、石岡市内にはいくつもの看板建築の建物が建てられました。一階は商店、仕事場、二階が住まいでした。石岡駅前通りを徒歩で過ぎ信号を左折すると今の石岡市国府、このあたりです。
 東北大震災の時まちも全体的にかなり被害を受けましたがなんとか復旧しました。
石岡市内の看板建築 市内国府にて 2016/10
               石岡の街並み 丁子屋     2016/10  写真2
       石岡の街並み 福島屋   写真3
        東京庵そば          写真4
     看板建築の説明板 各々に表記  写真5
石岡の街並 看板建築         写真6
  石岡の街並 看板建築       写真7
   石岡の街並み 看板建築     写真8
   石岡の街並  看板建築   写真9
       石岡の街並 看板建築    写真10
   石岡の街並み 看板建築        写真11
      石岡の街並み 看板建築    写真12
   石岡の街並  看板建築     写真13
    石岡の街並 看板建築           写真14
   石岡の街並  看板建築      写真15
  石岡の街並 板建築   photo16
    石岡の街並 看板建築       写真17
   石岡の街並  看板建築        写真18
                             こんぴら神社    photo19
        石岡市内国府    写真20
             石岡市内国府     写真21
       石岡市内国府      写真22
     石岡の街並 看板建築  写真23
     石岡の街並 看板建築2016/10  写真24
(株)府中酒造 2008/10/04 写真25
 (株)府中酒造 2008/10/04   photo26
 (株)府中酒造 2008/10/04  photo27
(株)府中酒造 2008/10/04   photo28
石岡の街並 看板建築 2016/10  写真29
栗山呉服店 2016/11/28   photo 30
市内国府にて  2016/11/28   photo 31

2016年9月28日水曜日

縄解き地蔵 石岡市井関 ・Our Ksitigarbha at Iseki Ishioka

  八木の縄解き地蔵  石岡市井関字八木

 Our Ksitigarbha or Jizoubosatu at Iseki Ishioka

八木の縄解き地蔵は水戸藩のおもに北郡でご用になり、所払いになった人々を霞ヶ浦の対岸から船に乗せ、縄解き地蔵前で解き放ったと伝わる。
八木の以前にはもと「風返し」八木からはそう離れていない(現在のかすみがうら市三ツ谷)付近の霞ヶ浦湖岸付近にあったと云われています。
三ツ谷湖岸や八木湖岸から細い道を丘を上るといくつかの古墳群があり、むかし霞ヶ浦を生活圏とした氏族が暮らしていました。
 縄解き地蔵は、お地蔵様として地元で慕われていました。
身ごもった人がここから小さな地蔵像を頂きお産が終わると2個にして返したという。
 仏教界で六道とは天道、人間道、 修羅道、 畜生道、 餓鬼道、 地獄道があって、
 地蔵菩薩は 畜生道、 餓鬼道、 地獄道へ堕ちないように見守ってくださる仏です。
菩薩(仏)を信じ、恨みと欲(貪欲、どんよく)を捨てると輪廻転生し天道、人間道に近づくと教えています。
地蔵堂の中にあるものや各地の寺院の庭園にあるものなど平安時代から観世音菩薩と並んで庶民から親しまれてきました。
縄解き地蔵尊は栃木県壬生にもあるようです。
 八木の話とは別ですがたしか、東京にはしばられ地蔵尊が2カ所あるようで、江戸町奉行から縄をかけられた面白い話があり、葛飾区にある業平山 南蔵院はお地蔵さんを縄で巻き願い事をする祭りがあるそうです。
八木の縄解き地蔵   photo 2016/09/18
八木の縄解き地蔵
八木の縄解き地蔵
道標 左 古酒(ふるさき)馬場山 深谷
右 梶和崎 井関 石川  
常陸国分寺の地蔵尊 2009/09/06
かすみがうら市三ツ谷付近 霞ヶ浦湖岸 1995-11
山の神古墳  かすみがうら市(city Kasumigaura) 2016-03
浅間山古墳 かすみがうら市  2016-03
風返し浅間山古墳 かすみがうら市  2016-03
馬頭観世音 かすみがうら市  2016-03
大六天(第六天)・・・かすみがうら市  2016-03

大六天(魔王)は 廃仏毀釈によって
多くの神社では仏として現在祀られていない。
大六天魔王は法華経によって魔が解かれたでしょうか?
天界と魔界は和合できたのでしょうか。
茨城でも麻生などで祀られていました。
子安神社と対馬神社素鵞神社  かすみがうら市
素鵞神社本殿 かすみがうら市 2016-03
道祖神 素鵞神社境内 2016-03
素鵞神社 かすみがうら市 2016-03
奉納額 霞ヶ浦 素鵞神社 かすみがうら市 2006_07(公開日)
鳥居の額 素鵞神社 かすみがうら市 2006_o7

or Nawatokijizou 縄とき地蔵 石岡市井関

2016年9月15日木曜日

住吉神社 石岡市井関 Sumiyoshi shrine Ishioka

住吉神社 石岡市井関    Sumiyoshi shrine Ishioka

 大山咋命おおやま(おおやな)くいのみこと
        創建は大同2年と伝えられている。
                         (茨城県神社誌)
神社誌によると「住吉」又は「日吉」 とも伝えられているという。


石岡市八木(井関)の霞ヶ浦湖岸近く、60段以上ある石段を登ると住吉神社があります。高台からは霞ヶ浦が見えます。むかし、霞ヶ浦の船からは神社を祀る高台がよく見えました。この付近はむかし、農、漁業が栄えていました。手元にある明治時代の書物によりますとここでは白魚、蝦(エビ)鰻(ウナギ)が多くとれたようです。
 
 住吉の神さまは一般的には底筒男命・中筒男命・表筒男命を祀り、海の神とされまた、
農工に御利益があると祀られてきました。
また、 住吉日吉神社が熊本県菊池市にあって  御祭神は大山咋神です。

 比叡山の麓、滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉大社は、崇神天皇7年に創祀された、全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。都の魔除・災難除を祈る社として知られています。また延暦寺の護法神として長い間崇敬されてきました。

この日吉神社の中心となるのが東西本宮をはじめとする山王七社です。
西本宮→大己貴神 (おおなむちのかみ)
東本宮→大山咋神 (おおやまくいのかみ)
宇佐宮→田心姫神 (たごりひめのかみ)
尾宮→大山咋神荒魂 (おおやまくいのかみのあらみたま)
白山宮→菊理姫神 (くくりひめのかみ)
樹下宮→鴨玉依姫神 (かもたまよりひめのかみ)
三宮宮→鴨玉依姫神荒魂 (かもたまよりひめのかみのあらみたま)

同じく京都にある松尾大社も祭神は大山咋神で酒造りの神としても知られています。
そのような理由によって 複雑な感がありますが、これで納得としましょう。

地元に昔から続く旨い酒の酒蔵があります。
初代主が京から石岡に移り住み、酒蔵を寛正3年(1462)にはじめ、日本に現存する酒蔵で2番目の歴史を誇るそうです。 それ以来清酒「富士泉」の伝統を守り続けています。 江戸時代には、水戸光圀公がこの地域を訪れ、藤田酒造の活動に対して、お褒めを戴いているそうす。(参考・石岡市観光協会ホームページより 藤田酒造)

 住吉神社社殿 石岡市井関 2011/08/21
住吉神社鳥居 2016/08/19
2012/01新しい鳥居完成 
 東日本大震災で損傷した鳥居 2011/08/21
 住吉神社社殿 石岡市井関 20160819
 石坂供養塔1 2011/08/21
石岡ルネッ散歩で訪れた住吉神社 2011/08