2015年11月3日火曜日

茨城廃寺跡 "Ibaraki-haiji " ancient temples trace Ishioka 

茨城廃寺跡  石岡市貝地二丁目

  7世紀後半(650頃?)(飛鳥時代)の建立とされる「茨城廃寺」
 この遺跡周囲では軒瓦や土器などが古い時代から畑の地表近くなどから時折出土し、茨城寺跡と推定されていた。当時まわりは多く畑地であったが現在周辺は住宅地が多い。
第1回発掘調査が昭和54年8月4日から同20日まで文化庁の紹介でこの分野に詳しい滋賀大学の小笠原氏と茨城県考古学権威の黒沢氏指導のもと行われ、文様の異なる丸瓦や瓦土器などが多く発見された。また、その後数次によって発掘調査が行われ金堂跡、講堂跡、塔跡、などが確認された。その配置は「法隆寺式伽藍配置」であることがわかった。
その後、56年までに3次調が行われ、「茨木寺」「茨寺」と書かれた墨書土器が発見された。
その後平成12年に4次調査が行われ発掘調査で建物の境界、位置の再確認など。
第5次調査は平成15年2月、主要建物がある寺の中心部の東側2カ所を対象に始まり、、寺東側の境界線が確定し、南側を除く寺の範囲がほぼ確定した。
金堂、講堂の東側から6棟の掘立柱式建物が発見された。掘立柱式建物は金堂の東側に2棟、講堂の東側に4棟、また、竪穴式建物5棟も確認された。
近くには「郡衙跡」「外城跡」も存在するがまだ発掘には至ってない。
また、寺院の礎石も石岡市内清涼寺他に数個保存されている。

 茨城廃寺跡 石岡市指定史跡 指定年月日:20120321
 場所 石岡市貝地二丁目
茨城廃寺 案内板 2012 05 12
茨城廃寺 案内板 2012 05 12
茨城廃寺 案内板 2012 05 12
茨城廃寺 案内板 2012 05 12
茨城廃寺 案内板 2012 05 12
茨城廃寺跡 2012 05 12
茨城廃寺跡 2012 05 12
茨城廃寺跡 2012 05 12
第一次発掘調査報告書
茨城廃寺跡1 1980.3 より
付近に保存されている礎石のひとつ

2015年11月1日日曜日

小目井と古城 Komokui water from an ancient Well

小目井と古城 石岡市田島一丁目 Komokui water from an ancient Well  

 前のページで紹介した「外城・石岡城」のある丘からなる稜威の真下に小目井という古代から伝わる古井戸がある。府中六井と伝わる井戸の他にもあったようだがむかし、現在のように掘り井戸がごく少なかった時代、井戸は神聖で重要な役割を担っていた。とおく、国造(くにのみやつこ)時代征服者が赴く先に辿り着くまで供の者共一番身の回りで必要なのは水であった。
また、国衙などの祭祀には神聖な水が必要であった。近くの茨城寺や三面寺遺跡などから多くの甕や高坏が発掘されている。祭事では瓶にためる水を汲み運ぶのが大変であった。
古、府中は東海道一番目の宿で、行き交う旅人も水を補給した。
又、近くには室ヶ井、田端井などがあったが国道6号の建設の際なくなってしまった。
府中は鹿島へ通じる道やその他の街道、高浜からの舟運があった。
小目井の祠には瑠璃光如来が祀られている。薬師如来は封建時から官民とも崇敬した。筑波山を中心とした地では筑波山四面薬師や薬師堂、堂跡が多いのに驚きを隠せない。
案内板の住所は石岡市石岡字小目井6099になっています。


小目井 石岡市田島一丁目 15/03/06 photo1
小目井 石岡市田島一丁目 15/03/06  photo 2
小目井 石岡市田島一丁目 15/03/06  photo 3

小目井と古木 石岡市田島一丁目15/0306 photo 1 
 案内板  15/10/16
 小目井と古木 石岡市田島一丁目 15/03/06  photo 2
 小目井から恋瀬川、筑波山方面 15/03/06 石岡市貝地一丁目
小目井  15/10/16
 小目井より外城石岡城跡方面    15/10/16

  

 瑠璃光如来    15/10/16
 古い木
恋瀬川方面    15/10/16
 筑波山方面    15/10/16
近くの案内板     15/10/16