2016年7月12日火曜日

佐志能神社(竜神山) Sashinou Shrine Ishioka

佐志能神社 石岡市  This shrine from over a thousand years

<佐志能神社・村上社>    石岡市村上字男龍下494

祭神 日本武尊、闇龗神[くらおかみのかみ]
配祀 天満神社、清心神社(素戔嗚尊)


<佐志能神社・染谷社>  石岡市染谷字峠1856

祭神 豊城入彦命、高龗神[たかおかみのかみ]
配祀 国常立尊、大巳貴命、少彦名命、国狭槌命、豊斟渟命(トヨクムノミコト)、猿田彦命、金山彦命、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)。

日本三代実録《卷四十八仁和元年(八八五)九月七日戊子》七日戊子。授常陸國從五位上羽梨神正五位下、從五位下村上神從五位上。」勅、・・・
(日本三代実録)

西暦880年代に勅によって祀られた記録があり、また延喜式内小社として祀られた。はじめ国造によって祀られ、龍神山佐志能神社は村上の社(石岡市村上)に闇?神[くらおかみのかみ]が祀られ、染谷の社には高?神[たかおかみのかみ]が祀られている。二つの佐志能神社の両祭神をあわせて龍神と称して水の神である。
 昔、佐志能神社は村上村にあったが村上、染谷村に分村、それまでの佐志能神社(村上神社)は染谷の地に入った。村上村では新に社を設け「くらおかみのかみ」と日本武尊を祀った。(茨城県神社誌)
太平洋戦争以前はかなり遠方からも雨乞いの祈祷に訪れる人びとが多かったようだ。
竜神山の付近はむかしとても水が豊富であった。近くにある常陸風土記の丘の中に金山池、奥に雄池と雌池がありその名が伝わっている。
 染谷には染谷古墳群、常陸風土記丘内には宮平遺跡があり、青銅製の巴型銅器、全径が5cm、脚が5脚、重さ14gの小型銅器(宮平遺跡出土)が 昭和63年宮平遺跡の発掘調査の時発見された。(茨城県指定文化財) 指定年月日、 平成10年1月21日。
このように竜神山の付近では縄文時代から人々が住み祭祀も行われていた。
 このほかに石岡市(八郷地区)には丸山古墳があり山内に佐志能神社があり豊城入彦命、、日本武尊、彦狭島尊が祀られています。

参考
日本三代実録(朝日新聞社本)
《卷四十八仁和元年(八八五)九月七日戊子》七日戊子。授常陸國從五位上羽梨神正五位下、從五位下村上神從五位上。」勅、
また、『續日本後紀』朝日新聞本
底本: 『増補 六国史』(全十二巻 佐伯有義、朝日新聞社、昭和15)に
《承和四年(八三七)三月戊子【廿五】》○戊子。常陸國新治郡佐志能神。眞壁郡大國玉神。並預官社。以比年特有靈驗也。(ネットによる)
と見られるがこれは岩瀬町(現桜川市)にある鴨大神御子神主玉神社とこの記録の常陸國新治郡佐志能神は往事新治郡であり、笠間にある佐志能神社である可能性が大きい。鴨大神は加茂神社神社であり常陸国の奥行きは深いですね。
 佐志能神社・村上社  2015/11/5
佐志能神社・村上社  2015/11/5  
 佐志能神社・村上社  2015/11/5 
佐志能神社・村上社 境内の苔   2015/11/5
常陸風土記の丘金山池より竜神山 2009/4/7
染谷佐志能神社  2004/1/23
風穴付近  2004/1/23
風穴付近  2006/4/19
 染谷佐志能神社入り口 2004/1/23
染谷佐志能神社  2004/1/23
4月に行われる染谷十二座神楽 巫女の舞 2006/4/19
十二座神楽 天の岩戸  2006/4/19
狐の種まき   2005/4/19
 
染谷佐志能神社案内板 2004/01/23
竜神山自然環境保全地区 茨城県指定 2004/01/23
神の住む山 2004/0114 石岡市小幡十三塚より

常陸風土記の丘近くにある道祖神碑に右「竜神宮」の文字が刻まれている。
建立は明暦3年9月9日とある。