2015年12月4日金曜日

舟塚山古墳 Funatukayama ancient tomb Ishioka

            舟塚山古墳 

                                          国指定文化財                      

                    所在地:石岡市大字北根本597番地外
                         指定年月日:大正10年3月3日

舟塚山古墳は前方後円墳で茨城で一番大きな古墳です。
墳墓の大きさから茨城の国造墳墓とも推定されています。
五世紀の後半頃作られたと推定されています。長さ約186メートル、前方部の幅100メートル、前方部の高さ10メートル、後円部の径90メートル、後円部の高さ11メートルあります。
常磐線高浜駅から石岡方面へ向かって西へ約1.5km弱の地点、また6号国道石岡から高浜街道を東へ約2.5kmの地点にあります。
古墳の入口には鹿島神社が祀られており、古墳からは筑波山、眼下には恋瀬川方面の眺めも良く、常陸國風土記「茨城」の由来の地「ばらき」も眼下です。南側は下ると直ぐ恋瀬川があり、常陸國風土記に見える信筑川です。
石岡にはいにしえ、国衙、常陸国府が置かれ、舟塚山古墳は石岡と高浜の中間に位置します。
また、この古墳の北東約300mには愛宕山古墳(茨城県指定文化財(史跡)があります。
舟塚山と道を隔てたこの古墳、舟塚山古墳と近い関係があるのでしょうか。
霞ヶ浦は古墳時代は現在よりかなり上流まであったと推定されます。

以下旧案内板より
 舟塚山古墳は南に霞ヶ浦、高浜入り江を望み、西に筑波の霊峰を仰ぐ景勝の地にある前方後円墳である。
 霞ヶ浦の両岸には多くの古墳群があり、その中央部の恋瀬川河口付近に舟塚山古墳群が存在する。この古墳は、東国第二位、県内最大の規模を誇り、現在の新治・行方・稲敷三郡を含めた地域の題号属の墳墓と見られている。
 舟塚山古墳の墳丘は、凡そ全長186メートル、前方部の幅100メートル、前方部の高さ10メートル、後円部の径90メートル、後円部の高さ11メートルの規模を持つ。墳丘は三段に築造され、後円部径に比べて前方部が長く、仁徳天皇陵(大阪府)やウワナベ古墳(奈良県)などに共通する特徴を持っている。周辺の堀は、台地の南側が傾斜面に続くので、北側と同様な規模でめぐらすことは出来なかった様である。
 舟塚山古墳墳丘の発掘調査はなされていないが、地元には、多数の刀が出土したという言い伝えがある。
 昭和47年の舟塚山古墳周溝確認発掘調査で円筒埴輪が出土しているが、形象埴輪は確認されていない。また、同調査で舟塚山古墳の陪家と考えられる円墳から木棺が発見され、単甲・直刀・楯などの副葬品が出土した。舟塚山古墳は、これらの出土品及び墳形から、凡そ五世紀後半の築造と推定されている。
      昭和60年1月
                    石岡市教育委員会
      石岡市文化財保護審議会    (案内版より)
 舟塚山古墳 060704
 舟塚山古墳 2 060704
舟塚山古墳入り口
鹿島神社
舟塚山古墳 案内板
舟塚山古墳 3 060704
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恋瀬川方面  130519
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